浪漫のすすめ

ここのとこ数日ずっと「浪漫飛行」を聞いている。

この満島ひかりのアカペラCMと
youtu.be

goose houseのカバーが好きだ
https://youtu.be/cDcIlV21oHIyoutu.be

前者は一人だけで何者にも阻害されず力強く歌っていて、後者はみんなで快く演奏して歌っている。
歌うことが誰かの迷惑なんて思いたくない。マスクでこそこそ隠れながら口ずさむだけじゃ物足りない。誰もいない野原か、カラオケに今一番行きたい。そいで合唱とかしたい。
したいことばかりが出てくるたびに、それでもできないと向き合うことになる。それがまた気持ちを塞がせる。

話はそれるのだけど、高校時代、別クラスの苦手な人がいて、その人が(真面目に)掃除してて、ただゴミ箱が近かったからだと思うけど、別クラスのうちのほうに捨てに来たとき、なぜか自分は拒否したことをよく覚えている。今だになぜかわからない。その人が他のクラスをも自由に使われるのが嫌だったのかもしれない。狭量すぎるだろ自分、と当時から思っていて、今も忘れられない。

今は「厳格」と「寛容」のはざまにいる仕事をしているから、「厳格」に囚われる人の気持ちも、「柔軟さ」に甘える人の気持ちも、よく接する。どちらかと言えばいまだに「厳格」側にいるけれど、いかに「厳格」と「寛容」を行ったり来たり出来るかを考えて仕事するようにしている。だから、高校のときのような狭量な自分を振り払いたいな、と思う。

大声で歌うことは今はもちろん難しい。それを許すことは「寛容」じゃなくて「危険」だから、間違っている。
でも、「歌いたいという気持ちを受け入れること」にはもう少し受容的な世界だったら、いつも思う。「歌うことは危ないから駄目です」なんて言われなくても子どもだって知っている。でも「歌いたいよね」と寄り添いあうことは子どもにも大人にも必要で、それこそが「一緒に耐える」ということなんじゃないだろうか。

『会いたいと思うことが何よりも大切だよ
 苦しさの裏側にあることに眼を向けて
 夢を見てよどんな時でも
 全てはそこから始まるはずさ』

とずっと歌は教えてくれているし、みんなで聞こう。名曲だよ浪漫飛行。PVも愉快だし。