目抜き通り

ここ数年、自分の誕生日に夏休みを取ることにしている。職場的にはこの時期大迷惑なのだが。もともと誕生日が夏休みなもので、そんなときに働いているのがすごく損した気持ちになるから許してほしい。

オリンピックはサッカーだけチェックして、あとはあんまり追っかけていない。もし何もなかったら、いろんなスポーツを見て、素直にすごいねと言いたかったけれど、控えている。プレーしている選手たちは悪くないのはわかっているけれど、「なんだかんだ言ってオリンピックよかったね」にはしたくなく、そのためには「開かれてるのってやっぱりおかしくない?」っていうスタンスでいようと思っている。サッカーは見たいけど、もし途中で中断しちゃってもしかたない、という気持ちの準備はできているつもり。がんばっている人にきちんとした舞台を設けてあげられていないのは、おもてなしできているのかな。

シンゴジラのとき、これが日本のイデアなんだなと思ったけれど、あれは物語でその続きを見ないで済むからアレでいいんじゃないかな。一回全部ぶっ壊されないと自分たちで形成できないことをまざまざと感じる。中学生や高校生のときに感じていた「ままならなさ」は幸か不幸かフィクションのようにぶっ壊されることはなく何も解決しないまま、それとうまく距離を取ることを繰り返してここまで大きくなったんだ。

自分でなんか面白いことを作りたいし、それが世界を変えるかもしれないってちょっとだけ思ってる。そのくらいの明るさで生きることができてよい世の中でもある(こんななので、絶対スポーツの世界にはいられないな、とは思う)。

干支3周しても、目抜き通りのハモりは歌えないし、ギターもピアノも中途半端だし、別に何もできるようになってない。何かとりわけ努めているわけじゃないけれど、でも今日のごはんは美味しく作れたよ。めんどうな人だけど、また明日からもみんなよろしくね。