放置と選択

また実家からの更新となった。寝てるときに書くとあんまりよくない文になるなと思って避けていたら、まる1か月かかってしまった。ほったらかしだ。

このところ体の不調を鍼で誤魔化しながら働いていたんだけど、母が地元の鍼がめちゃくちゃいいとあまりに勧めるもので無理やり予約も取ってくれたもんだから行ってみた。ら、めちゃめちゃによかった。

鼠径部をぐりぐりされて痛かったんだけど、これも全部頬骨あたりの歪みから来るもので、この鼠径部の違和感が取れないと頭痛も腰痛も頻尿も治らないよ、と言われた。鍼師すごい、何言ってるかわからないけど症状は合ってる。今までの鍼治療は治療というより一時的な緩和であり、今日の鍼治療はほんとに鍼治療だったんだと知った。

生まれたとき難産だったらしく、頭がロケットみたいだったと笑い話でよく話されるけど、そのせいで頬骨あたりの骨盤が歪んで、ずっと小さいころから頭痛やら肩こりやらひどかったんじゃない?と言われた。確かに肩はずっとこっている。もう一回早めに受けたほうがいいよ、って言われてしまい、ほいほい予約してしまった。実家に帰ってくる理由がひとつ増えてしまった。

 不調つながりではないが、月初にコロナワクチンの1回目を打ったら、2日ほど発熱し、打った箇所を動かすのもさわるのも痛かった。思ったよりも体が拒否したなと思ったので、次回はもう有給使って抑えておくことにした。早くウィズコロナでも撲滅でもいいんだけど、そういう世界線に行けるといいよね。

そんななかでもオリンピックはもうやるんだろうって空気になってきて。やりきってしまえば案外よかったよね、やれたよねの精神が出てきて、反対意見を緩衝していく、地獄絵図のようなぬるま湯の未来が見える。でも投票に行ってない人はそんな未来でいいってことなんだもんね。自分はいやだから投票に行くし、選挙速報も見るよ。

自分の置かれる場所を決めるのは生まれたときから自分じゃないけど、そこでどう生きるかはずっと選択し続けている。というかそれしかできないのだ。世界をかえてやるみたいな無謀な希望よりも、日々を生きることが愛おしい、でも世界を変革する憧れは忘れちゃいけない。自己矛盾のような、表裏一体のような、もやもやと常に向き合ってないといけないのだ、と鍼を打たれて放置されているときに、ぼんやりと考えていた