大統領選で感じたこと

なんて陳腐なタイトルだ。でも書く。書いておきたいから。

アメリカの大統領選を見ていた。家にテレビがないので、ツイッターやニュースアプリの速報を眺めた。日本の総理大臣が代わったときよりも、興味を持って見ていたことは間違いなかった。

それは「世界を変える」ことへの期待感に他ならなかった、悲しいかな。

トランプが大統領になってもたらしたものは一体なんだったろう。彼が大統領になり、フランスでも国民戦線が盛り上がり、世の中がいっせいに「排斥することで自分たちの権益を守ろう」とする流れになるのか、憂鬱だな、と当時思った。案の定、彼は自国民の一部だけの利益のために、外を攻撃していった。彼を支持する人たちからすれば痛快だっただろうし、関係のない人からしたら「おお、派手にやっとるわい」と対岸のよく燃える火事が見れて、愉快でさえあったかもしれない。

でも、自分はそうは思えなかったし、彼の言動ははっきりと不快だった。テレビのショーのように誰かをこき下ろしたり、嘲る行為を大統領という立場で行っている人物がいることに、恐怖を覚えた。「そういう人だ、ジョークじゃないか」なんて受け止め方で終わる人は、じゃあ自分が、自分の子どもが、彼に罵倒される対象になったらどうするのだろう。子どもがトランプのように育ったら、受け入れられるのだろうか?自分にはその自信はなかった。「排斥していく人たち」が目指すものはどこなのか、突き詰めていけば、自分以外のものはすべからく排斥するのではないか?彼が「アメリカ!」と言うときに含まれている人は誰なのだろう?白人だけ?白人にしてもいろんな白人がいるのに?人の持つ属性の解像度を上げていったら、誰しもいずれ、彼が排斥する人のなかに含まれていくだろう。結局、誰も残らなくなる。

でも、今回の大統領選で彼が代わることがあるのだろうか?と思っていた。やっぱりショーのように、逆転して勝ってしまうんじゃ、四年前のように?と。どのニュースを読んでも、どっちが勝つか全くわからなかった。

トランプが途中で勝利宣言をしたとき、「虚勢を張ってるな」とは思ったけれど「それが根拠のないものだ」とは思わなかった。日本の報道から見るだけでは、投票のやりかたも、現地メディアの傾向もわからない。浅学な状態のまま見てハラハラしているのは、なんだかばかげていた。これじゃ感情論と言われてもしかたないとさえ思った。優勢が伝えられたときも、早く結論が出てほしかった。

gendai.ismedia.jp

この記事を結果より先に読みたかった、と思ったりした。

当確と報じられたときはほっとして、同時にアメリカが大きく軌道を変えようと動いた瞬間だったことに気付いた。彼の言葉は、それを「自分の味方の発言」だと感じられる人には強いパワーを与える、だから、彼の意見に同調する人は結果としてものすごくたくさんいた。その人たちを乗り越えるのに、よりエネルギーが必要だったはずだ。でも成し遂げた。

これが、世界を変える、ということか、と感じた。アメリカは世界一、みたいな言説って何言ってんだ、とはいつも思うけれど、どの国もこの大統領選を真似することはできないだろうな。動かすエネルギーの総量が違う。

こういうエネルギーの固まりのような勢いが日本ではなかなか起こらない。民主党政権時代の失敗をけっこう引きずり続けていて、それを乗り越えるためのエネルギーを湧かす方法が誰にもわからない、という閉塞感が続いている。

 トランプを支持していたのは、置いてかれがちな中流階層の白人たち、なわけで。上の記事で書かれている人が同じ立場だというつもりはないけれど、日本のトランプが生まれる土壌はあるわけだな、と思ったりもしている。それを生み出すエネルギーがないだけで。

英雄を作り上げる国でなく、英雄が現れるのを待つ国に生まれた。自分の完璧な理想の英雄なんていないのに、それを待ち続けている。変えられるのを待っている。

だから「悲しいかな」だった。

エネルギーを持って生きていくことをアメリカの大統領選は教えてくれる、それが尊いかどうかは別にして。大小自分の周りでうまく行かないことを能動的に変えるにはそれを超える大きなエネルギーが必要だ。日本がどうとかよりも、エネルギーを出すことを億劫がっている、自分がいるなあ、と振り返らざるを得なかった。