生きやすくなったという書置き

昔から私のこと知ってる人は、いかひこといえばダウナーなつぶやきばかりしている人、というイメージが強いのではないかと思うが、個人的には最近だいぶ生きやすくなったなあと思っている、幸せなことに。

高校生のころ、不幸だと訴えて「不幸だね」と言われたみたいに、自分は不幸な人なんだな、そこから逃げられないんだ、そうやって人生進んでいくんだな、不幸だな。と下りの螺旋階段を降り続けていく感じが、間違いなくあった。

大人になってもしばらくはそんな感じで、不幸だし、不幸なのは自分の努力不足だし、でもそれでも不幸だとは言いたいし、みたいな反芻を繰り返したし、会社がいやになって世界を呪って地震を引き起こしたり(狂信)、などなど苦しかった。こんなことやりたいことじゃない、でもやりたいことがあるわけじゃない、みたいなそういう葛藤と不安で押しつぶされて、しばらく生きづらかったのだけど。

おかげさまでだいぶ楽になった。別に何かが解決したわけでもない。去年だって仕事ではいろいろあった。いらいらもする。何も成長はしていないのかもしれない。でも、生きづらさは減った。たぶん、まちがいなく。

なんでかははっきりとはわからない。

でも、自分の話を共有できる人がいると、それだけで気持ちが楽だ。ツイッターやブログで吐き出すのは共有じゃなくて書置きだから、ちょっと違う。趣味はTRPGと出会ったこと、仕事でも転職や異動をして自分にフィットする場所を探しているうちに、そういう関係が増えた。あと、1人暮らしして親と距離を置いたこともあるかもしれない。親が嫌いとかではまったくないが、近すぎて落ち着けてはいなかった。

そうしているうちに、歯車がかみ合い始めて、下りの螺旋階段とは別の道を見つけた、のかな。ふわっとしてんな。いろんなことをまとまらないまま吐き出しているからいつもこうだ。でも書いておきたかったから許して。

過去のいやなことを思い出すと、今でも独り言が出る。独り言言ってるときは昔のことを思い出してそれをどっかへ振り払おうとしているのだなと最近気付いた。よく「はーひふーへほー」と言ってしまう。心の中のばいきんまんが活発なときに出る。いつだって、元の下り坂へ戻ってしまうかもしれないなあと不安になる。ただ今はそれを見つめ返す余裕が少しあるし、余裕がないときは伝えることができる人がいるから、だいぶ楽だ。

楽なほう楽なほうに生きようとしてるとも思う。でも、生きられるようにしか生きられない。昔の自分がいたら話を聴いてあげないとな、くらいに思う余裕をもってまだまだ生きたい。