おわかれ

今回は悲しい話で気分が落ち込むかもしれないので、注意。

 

正月以来、久しぶりに実家に帰ってきた。

実家の猫が毛布をかけられて横たわったまま動かないでいるのを横目に、今これを書いている。20年ぎりぎり足りず、昨日亡くなった。

今週ずっと外遊びに付き合って体が疲れてしまっていて、うとうとしているときに知らせが来た。ずいぶん長いこと病気で、良かったり悪かったりだったけど、最後は少し苦しそうな感じだったみたいだった。

知らせを聞いてからもやもやといろんなことを考えてどれもかたちにならずにいたけど、目の当たりにしたときに悲しさはやってくる。

原爆ドーム見た時にも同じことを思った。話に聞くよりも、虚になったものを捉えるのは、脳の奥に響く。

ゴミを捨てようとゴミ箱を持ち上げたときに落としそうになり、「あ、大きい音を立てたら猫が驚いちゃう」と慌ててキャッチした。でも、そうか、もう驚きもしないんだね、と思った。

20年近く前に、父が弱った野良猫を拾ってきたとき、自分が「死んじゃう時つらくなるじゃん」と渋ったのを覚えている。実際どうだったかというと、20年前の自分はよくわかっていた。でも、だから、後悔しているのではなくて、一緒にいられてよかったねという方が今は大きい。もう覚悟していたからかもしれないけれど、20年前の自分には受け止められなかったことを、受け止めている。

これから改めてお別れだから、また泣いてしまうかもしれないけれどしっかり見送ってあげたい。

自分でやりたいと言って人を集めた予定があったけど、キャンセルして実家に帰ってきた。その予定自体は他のみんなが引き継いで楽しんでくれそうなので、それだけはほっとしている。悲しい話を振りまいているようで申し訳ないのだけど、こんな書き溜めを許してくれる心の広い友人がいてくれて、高校時代の自分が感じてた不安は、少しずつ昇華して消していくことが、できている。