弁当を作ったり作らなかったりする

卵焼きを作るのが上手くなった。卵を溶いて、気分で味付けして、卵焼きフライパンに流し込んで焼く。お弁当を作るとき、晩御飯の1品欲しいとき、レシピの幅がないのでしょっちゅう思いつく。よくフライパンにくっついちゃってたんだけど、油を全体に延ばせばいいんだってわかって、やっとさっさか作れるようになってきた。レシピを見なくてもいいかな~って料理のときこそ、こういう基本のキがよく抜けている。パスタを茹でる塩加減とか、味噌汁の味つけとか。別にレシピに書いてなくても大衆の誰も怒らないような基本中の基本。

料理の作り方を教わったことはほとんどないし、親が作ってくれてそれを享受してるだけだったから、ほんとに料理できるの?って家族からも思われてた。

でもまあなんとなくはなんとかなっている。はず。

なんでこんなことを思ったかっていうと、弁当を作ったときに奥さんから「ちゃんとお弁当してる」って言われたからだ。昼飯代ケチるために弁当にしてるだけなんだけど、弁当を作るってなると、主食があって主菜があって副菜があって、となんか整えようとするみたい。冷凍品ばかりだったとしても、肉だけとか野菜だけとかにならないようにしている。

昔から親がまあしっかり弁当を作ってくれていたもんで、「お弁当とはこういうもの」なんだと体が覚えていて、ちゃんとそういうものを欲するんだろうな。この間書いたブログにも脳内の食べたいものイメージのことを載せたけど、今日のお弁当はこうしよ、と組み立てが働くというか、脳内でイメージができるみたい。凝ったものにするというよりは、「あー、この冷凍ハンバーグ美味しいから入れて、あと野菜いれよ」程度のものなのだが、別に食べたいもの作ってるんだから、なんでもいいはずなのにね。無意識に親の作ってくれたお弁当を見様見真似してるんだろう。

ちゃんと積み重ねたものは頭と体の中にあるんだな、と思ったりした。

ここまで書いてきて白状するけど、最近ポケモンとワールドカップのせいで朝起きれないので、弁当作りサボリがちです。明日は、今日の夜ごはんの山賊焼きが残ってるからそれで作るんやで、自分。